シナジーと買収価格の関係 ― いくらまでなら、払ってよいのか

Price negotiation と書かれた黒板をはさんで向かい合う二人の人形と、両脇に積まれた金貨 ― M&Aの価格交渉を表すイメージ

前回までで、お話ししたこと

前回は、シナジーをKPIに翻訳しておく話をしました。
今回は、そのKPIが何に効くのかという話です。

第4回「M&Aのシナジーとは、他社には払えない金額を払える理由です」でも少しお話ししましたが、シナジーと買収価格の関係を、もう一度整理したいと思います。

「他社には払えない金額」とは、どういう状況か

M&Aにおいて他社に払えない金額を払うという意味なのですが、まず、被買収企業が魅力的な対象であれば、買収企業が複数いる場合も当然あり、その場合には入札と同じですので、より高値をつけた方が買収に成功するわけです。高い値をつける買収側は、自分であればその企業を高額で買ってもペイするという意味です。

逆の状況もあります。

被買収企業が事業的に瀕死の状態で、買手を探しているが、なかなか相手が見つからない。売り手も債務のクリーンナップに最低限の売却価格が必要という状況で、それほどの企業価値がない。この場合も、自分であればその価格で買ってもペイするという意味では同じです。

高いか安いかではなく、自分だから引き合う。そこが共通しています。

値段の出し方には、三つある

高値か、高値でないかの基準になるベース買収価格の算出は、M&Aの教科書的には次の三つです。

インカムアプローチ(将来事業計画のDCF法に基づく)、コストアプローチ(純資産を基準に評価する)、マーケットアプローチ(類似企業がEBITDAの何倍で買収されたかで考える)。

しかし、どの場合にも対象企業の将来事業の可能性を知る為に、DCF法での分析は欠かせません。ですので本投稿では、このDCF法を基準とする考察をいたします。

(この記事に出てくる用語は、後半にまとめています)

計算してみます

極めてざっくりなシミュレーションですが、とある事業のDCF法での事業価値の計算例を見てみます。

被買収企業の現在売上が100億円。ここ5年先、CAGR20%の成長を目論む事業計画。DCFの基準となる現時点でのFCFが10億円で、このCAGRと同等に伸びる。
鉛筆なめなめで調整は可能ですが、WACC10%、永久成長率1%で概算すると、こうなります。

年売上FCF割引係数現在価値
1年目120.012.000.909110.91
2年目144.014.400.826411.90
3年目172.817.280.751312.98
4年目207.420.740.683014.16
5年目248.824.880.620915.45
事業計画期間の小計65.4
残存価値(TV)279.20.6209173.4
企業価値238.8

単位は億円です。

値段の7割は、計画の外側にあります

皆さんもご承知だと思いますが、毎回この様な表で目を引くのは、内訳の残存価値(TV)です。

事業計画5年分が65.4億円で、企業価値の27.4%。残存価値(TV)が173.4億円で、72.6%。

5年分の事業計画をいろいろ調整してどれだけ精緻に作っても、値段の7割強は、その計画の外側に置いた仮定が決めています。

今回の設定のTV1%は「永久に年1%で成長し続ける」という意味ですが、M&Aでは必ずしも異常な仮定でもありません。この1%を動かすと、企業価値は、永久成長率0%(5年後以降成長無し)でも220億円、1%で239億円、2%で262億円と動きます。(しかし、依然TV値の割合が高いままです。)

事業計画期間外も一定の事業成長を続けるという仮説に基づくTV値の場合には、この流動性の高い現代では想定通りになることは難しく、想定を維持するには、本来FCFを悪化させる追加事業成長投資などが必要な場合もあり、それが適正に事業計画に考慮されているかは注意深く事業計画を見る必要があります。

このようなTV値ですが、100%のM&Aではその会社の一生を買うので、価格決定交渉において5年分の現在価値分だけ払うとも言いにくいですよね。しかし、TV値が本来指し示す、買収後5年も経った後の事業の成否はもはや元々の事業計画の是非と、買収企業のマネージメントの是非が混ざってしまいますし、誰がこのTVの責任を持つべきか、TVの解釈と扱いはなかなか厄介です。

売り手の計画は、強気に作られています

買収企業側に示す被買収企業側の事業計画は、自社事業価値を高く示す為に、非常にアグレッシブな値になります。

あれやこれや、この将来計画についての蓋然性などの点から、すでにここには、将来現実となる事業から産むリターンの現在価値に対して、プレミアムが入っているという考え方もできます。

第4回で、その会社が単独で稼ぐ力は誰が評価してもおおむね同じ水準に落ち着く、と書きました。これと矛盾するようですが、そうではありません。同じ計画を見ても、どこまで信じるかで数字は動きます。それでも、桁が変わるほどの差は出ません。

買収企業はそこをコンサバに捉えます。まずは、被買収企業のスタンドアローンの事業計画が現実となるためのリスク解除にはどれくらいのコストが必要かなど、リスクに備えた見込みの上乗せを加味して、最悪、被買収企業の提示価格とのギャップを埋めるにはどの程度の追加収益が必要かを見る必要があります。(5年後までの事業計画の成否だってわからない、ましてやそれ以降のTV値なんか0と考えても、買収の元を取り返すつもりでM&Aに着手するくらいの心づもりです。)

ギャップを埋めるのが、シナジーです

これを達成するのに必要なのが、買収企業側の既存事業と被買収企業の作り出すシナジー効果による収益増です。

買収企業と被買収企業が出会う前に現実的に描いた将来事業計画が生み出す事業価値の和。それが、二者が出会ってマージされることによって新たに形成される事業計画で、どれだけ大きくなるか。その差がシナジーです。

この部分が買収プレミアムを上回っていれば、買収する価値があるということになります。

いくらまで払えるか、と、いくら払うべきか

ここが、この回でいちばん申し上げたいところです。

払ってよい上限は、スタンドアロンの価値に、シナジーの増分の全額を足したところです。

ただし、上限いっぱいを払ってしまうと、買い手の取り分はゼロになります。シナジーをすべて売り手に渡したことになるからです。

実際の価格は、スタンドアロンの価値に、シナジーの増分の一部を足したところに落ちます。残りが、買い手に残る分です。

交渉とは、結局のところシナジーの増分を売り手と買い手でどう分けるかの話です。入札で値が上がるというのは、買い手が自分の取り分を削っていく過程にほかなりません。

そして、分け前を決めるには、分ける対象の大きさが分かっていなければなりません。

シナジーの増分がいくらなのかを計算できていなければ、上限も分け前も決められません。前回お話ししたKPIは、ここで効きます。シナジーをKPIに翻訳し、将来の事業計画に載せて初めて、増分が金額として出てきます。出てこなければ、相場に少し乗せた値段を、根拠なく飲むことになります。

「自社であれば、有効に活用できる」

連載の第1回「ところで、M&Aのシナジーって一体どんなもの?」で、アイリスオーヤマの例を取り上げ、こう書きました。

私の見るところ、同社は投資対効果に日常的に厳しく、M&Aにおいても事業救済といった視点で触手を伸ばすことはありません。自社であればその事業を有効に活用できる、つまり自社であればシナジーを出せる、という確信を持ったうえで実施されています。

「自社であれば有効に活用できる」という確信は、気持ちの問題ではありません。いくらまで払ってよいかという、上限の話です。確信があるから高く払えるのではなく、増分がいくらになるかを描けているから、上限が決まる。

逆に言えば、確信だけがあって金額になっていなければ、上限は決まりません。決まらないまま交渉に入ると、相手の提示額が基準になります。

この記事に出てきた用語

DCF法
将来生み出す現金を、今の価値に割り引いて足し合わせる評価方法です。「この会社はこれから何年かけていくら稼ぐか」を見積もり、その金額を現在のお金に換算します。本記事の計算表が、そのまま例になっています。

FCF(フリーキャッシュフロー)
事業を回し、必要な投資をしたあとに手元に残る現金です。会計上の利益とは一致しません。利益には現金の出入りをともなわない項目が含まれるためで、DCF法が利益ではなくFCFを使うのはこのためです。

WACC(加重平均資本コスト)
会社が資金を調達するのにかかるコストを、借入と株主資本の比率で加重平均したものです。DCF法では、将来の現金を今の価値に割り引くときの率として使います。この率が高いほど、将来の現金は小さく評価されます。

TV(ターミナルバリュー・残存価値)
事業計画の期間が終わったあと、その先ずっと続く分の価値です。本記事の例では、企業価値239億円のうち173億円、7割強をこれが占めています。「永久に年1%で成長し続ける」といった仮定の置き方ひとつで、金額が大きく動きます。

CAGR(年平均成長率)
何年かにわたる成長を、毎年同じ率で伸びたとみなしたときの率です。本記事では、売上が5年間にわたって年20%ずつ伸びる前提を置いています。

EBITDAマルチプル
似た会社がEBITDA(利払い・税金・減価償却の前の利益)の何倍で買われたかを調べ、その倍率を対象企業に当てはめる見方です。市場の相場をそのまま使うので、マーケットアプローチと呼ばれます。

ここでは、この記事を読むのに必要な範囲に絞っています。評価の実務とシナジーの定量化については、拙著『シナジーを産むM&A』で扱っています。記事の下の「著書のご案内」からどうぞ。

次回

次回は、この値段から立ち上がる「のれん」の話に入ります。


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連載「ところで、M&Aのシナジーって?」

第10回以降も、順次公開していきます。

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